開幕は見切り発車で

こんばんは、山村貞子です。
ビデオテープが世間の皆様方から忘れ去られて久しい今日この頃、私の活動もぐっと制限されるようになったわけですが、なんと先日どこかの奇特な女性が呪いのビデオを再生してくださいました。
そして私は眠れぬ一週間を過ごし、今夜ようやくこうして意気揚々と現実世界にやってきた……のですが。

「痛っ!?」

まさかテレビの真ん前に画鋲がばらまかれているとは予想外でした。
なんですかこれは、新手のトラップですか、まきびしですか? 手の平がとても痛いのですがどうしてくれるおつもりですか。
そこへきて更に「ハァイ」なんていうのんきな声がテンションの下がりきった私を迎えてくれたりするものだから、もうどういう顔をすればいいのやらわかりません。

「いらっしゃいまし」

テレビのすぐそばに敷いた布団の上にあぐらをかいた女性は真っ赤な頬をいっそう鮮やかに染めてきゃっきゃと笑った。その手には軽そうな缶ビール、そしてあたりに散乱する空き缶。

「……酔ってますか?」
「んー、ちょっとだけ」

そんな語尾に星マークが付きそうな口調で答えられても困ります。私の質問も間抜けでしたがもう少し怖がってください。私幽霊です。
ところで私はこの人にまったく見覚えがなく、どうもビデオを再生したのとは別人のように思えるのですが……。

「あの、一週間前にビデオテープをご覧になりました?」

私の言葉に女性は濡れた髪の頭をちょっと傾けて考え込んでしまった。

「今時そんなの見る人いる? そもそもどうやって見るの?」

私がどう答えればいいのか困っていると、彼女はやがて会得がいったかのようにうんうんと頷いた。

「ああ、友達のことかも? 先週末ここを貸してあげてたから。あの子がなにかしたの?」

そういうことですか……どうやらずいぶんと初歩的なミスを犯してしまった模様。
困ったな、と思いましたが、そのご友人の現在を尋ねてもっと困惑するはめになりました。なんと彼女は海外にいるというではないですか。

「いつごろお戻りでしょう?」
「さあ……いつも気まぐれだから。多分二週間後くらい?」

に、二週間……それは長い。どうしたものかと沈み込む私を見かねてか、目の前の女性は缶ビールを一口あおると「電話してあげようか」と思いのほか優しい提案をくれた。

「いえ、お気遣いなく」

それにさすがに携帯電話からは登場できませんからと私が言うと、完全に酔っ払っている彼女は意味がわからないというようにまた首を傾げた。
そして私は正直、そのしぐさを憎めないと思い始めている。
自然と正座になっていた足をもぞもぞと動かし、私はさらに彼女に話しかけた。どうせ今引き返したところで井戸の底でぼんやり過ごすほかないんだもの。

「あの、すごく散らかってますね……」
「いつもこんなもん」

特に休日はね、と女性は恥じ入る様子もなく片手のビールを煽る。
空になった缶をゴミ箱に放り投げるものの、狙いを外したアルミ缶はそのまま部屋の隅に転がった。そもそもそのゴミ箱は可燃ゴミ用に見えるのですが。
それよりそこの脱ぎ散らかしたブラウスはなんですか、ジャケットもそんなんじゃシワになるでしょう。あとこの空き缶の群れはどういうわけですか。あなた今夜だけで何本飲んだんですか。
ああ、よく見たらテレビの前の画鋲もトラップじゃなくて机から落ちたのをそのままにしてあるだけなんですね。ところでカレンダーが先月のままですよ。

「え、どしたの?」

突然立ち上がった私にさすがに驚いたらしい彼女は、新しい缶ビールを開ける手を止めてぱちくりとこちらを見上げた。

「……一人にしておいたらだめだと思ったんですよ! それは没収です」
「えー! せめてあと一本」
「いいえ、だめです」

とりあえずゴミだけでも片付けますからという私の言葉に、女性は元気よく「じゃ、私も」と片手をあげ、おぼつかない足でふらふらと立ち上がる。
かえって心配なのでいいから寝ていてと布団に押し戻すとお母さんみたいと呟かれたが、不思議と悪い気持ちはしなかった。
キッチンから持ってきたゴミ袋に空き缶を放り込んでいると布団にくるまった彼女が眠たそうな声で話しかけてくる。

「ねえ」
「はい」
「本当にありがとう」

感謝の言葉なんて自分にはもう一生縁がないと思っていたから、びっくりして喉が詰まってしまった。彼女は気にする様子もなく言葉を続ける。

「ところで私あなたとは初めましてだ……と、思……」

やっと気づきましたか……。
途中で力尽きたように眠ってしまった女性の頬は相変わらず赤かった。
明日の朝、彼女がこのことを覚えているかどうかは非常に怪しいけれど、どちらにせよ、私は彼女に名前を聞いてみようと思う。なにせこんなに楽しい夜は久しぶりだったし、彼女とは仲良くなれそうな気がするから。

……ああ、朝がとても待ち遠しい。

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