眠っているときの彼女は、ほんの少しの身じろぎすら見せなかった。
ただでさえ猫のように気配の希薄な女が静かに背を向けて丸くなり、ただ音もなく横たわっているのを見つめるたびに、レックスの胸の奥はざわつき、言いようのない不安で満たされてしまう。
いつか彼女がふいにいなくなる――そんな現実味のない想像が頭をよぎるたびに、自分の中の情けなさから目を逸らしたくなる。
そんなときは決まって、笑って誤魔化すことすらできずに、ただ黙って息をつくしかなかった。
イザベルは変わらない。これまでもそうしてきたように、これからも国の名のもとに銃を取り、命を奪い、命令のために生きるだろう。
そしてレックス自身もまた変わらない。変わりようがないと知っているし、変わろうともしないからだ。
でも、それでいいのかもしれない。そう思える程度には、彼女に対するこの気持ちは、ずっと根を張っていて、もう引き抜くこともできないほどに深くなっていた。
なんてことのない会話を交わしている最中でも、イザベルは時折ふっと殻の奥にこもるような気配を見せる。
神経質そうに伏せた睫毛が影を落とすその瞬間、彼女の眼差しの奥にあるものが急に遠く感じられて、レックスの手では決して届かない場所に、彼女がひとりで立っているように思えてしまうのだ。
そのときイザベルが何を想っているのか、正確に知ることはできない。
けれど、戦場に生きるスナイパーである彼女の心の中に、思慮しなければならないことや、背負わされたものが山のようにあるのだろうということは、想像に難くない。
そのうちのたったひとつでも、この手で取り除いてやれたら……そう思ってしまうたび、レックスは自分の傲慢さに気づいて、すぐにその考えを追い払おうとする。
それはきっと、思い上がった戯言でしかない。
だけどあんな顔は見たくない。寂しそうで、悔いているような、過去に何かを置き去りにしてきた人間だけが浮かべる、あの静かな苦しみに満ちた表情を。
こうして並んでいられる時間が長くないことはわかっているからこそ、たったそれだけの沈黙が、やけに空虚に思えてしまう。
寂しくなる理由は、それだけじゃなかった。
イザベルのその痛ましい横顔が、レックスの記憶の奥底にある父を思い起こさせるせいだ。
軍人だった父は、夜中になると、まるで世界から切り離されたような沈痛な表情で、同じように身を縮めていた。
幼かった自分には、その理由はわからなかったし、今になっても、たぶん本当のところはわかっていない。
自分の身体を抱くようにして丸まっている彼女を見て、レックスは室温を上げようかと一瞬だけ考えた。
けれどその場から離れるのが惜しくなって、かわりに毛布の端をつまんで、そっとイザベルの首元まで引き上げた。
すん、と鼻をすするかすかな気配がしたが、彼女が目を覚ます様子はなかった。
眠りは続いていて、それに安堵したレックスの上半身が、音もなく彼女の背へとそっと重なり、唇の端に、そっと小さなキスが落ちた。
鼻先をすべるようにかすめていく、彼女だけの匂い――冷たい金属と陽に焼けた皮膚、汗と硝煙に似た香りが微かに混じって、それでも、どこか胸の奥がきゅっと痛むほど懐かしい、唯一無二の匂い。
あのとき、父に伝えられなかった言葉を、こうして彼女の眠る耳元で囁くのは、卑怯かもしれない。
彼女に不必要な重荷を背負わせてしまうだけかもしれない。
それでも恋人は今、こうして夢の中にいるのだ。
ほんの少しの本音くらい、夢の中に届けても罰は当たらない。きっと、それくらいのわがままは、許されるはずだ。
「ずっとここにいるわ」
