助手と、ゼノモーフのなまえ

 USM研究船オリガ号の15階にある観察室は、いつも少しだけ湿度が高い。
 空調はいつもと変わらず静かに稼働しており、機械音とわずかな低周波が壁面から染み出しているようだった。
 照明は実験照度に保たれており、部屋の隅にはわずかに陰が落ちる。中央に据えられた観察用モニターには、断続的に数値が走っていた。
 ステラ・メイヤー博士は、黙々と観察と記録を続けていた。編み込んだ髪はほつれもなく、白衣の裾も汚れひとつない。指先は迷いなく端末を扱い、まるでそれが彼女の身体の延長であるかのようだった。
 そしてその傍らには、ひときわ小柄なゼノモーフがひとり。ステラが観察の手を止めるたびに首を傾けたり、尻尾の先をくるりと回したりして、音もなく彼女の動きに寄り添っていた。
 何度目かの計測の後、彼女は一歩、ガラスの前へ進み出る。巨大なケージの中には数多のゼノモーフたち。
 鈍く光る金属床、センサーの点在する壁、鎮静ガスノズルが整然と張り巡らされたその空間には、低くうなる声と尾の擦れる音が反響していた。
 リアルタイムの生体データが、観察モニターに次々と表示されていく。体温、心拍、筋電、腸内pH、嗅覚刺激反応、脳波から算出されたストレス係数……それらにステラはひとつずつ目を通す。
「セリウム、体温安定。ビスマス、動きすぎ……また関節に負荷が……」
 まるで彼女の独り言を聞いているかのように、そばのゼノモーフが顎を引いてうなずきの動作を見せる。意味を理解しているのかどうかは不明だが、そのしぐさは、確かに『聞いている』者のものだった。
 ステラが指先でガラスを一度だけ叩くと、何頭かが動きを止めてこちらを向く。
 特に反応の早かった一頭が唸り声を発するが、暴れる気配はない。ステラはそれを穏やかに見つめ返した。
「……反応速度もOK」
 そこへ、背後から足音が近づいてきた。靴が床を擦る重たい音。だがステラは振り返らない。背後の人間より、目の前の爬虫類じみた異形の表情筋に気を取られていた。
「あの、メイヤー博士?」
 渋めの声。しぶしぶ振り返れば、がっしりとした体格の中年男性と目が合った。
 ステラと揃いのラボコートを着て、角の塗装が欠けたタブレット端末と、資料らしき紙の束とを一緒くたにして抱えている。
「そろそろ定例ミーティングなんですけど……何してるんですか?」
「個体の健康チェックです」
 ステラはガラス越しのゼノモーフたちに視線を戻す。
 通常なら1〜3頭ずつに分けられるゼノモーフたちが、今は自由に空間を使って移動している。いつもより神経質な個体もいれば、好奇心が勝っている個体もいる。
 研究員は一歩室内に入ると、身構えるように肩をすくめた。鋭い尾、異様に膨らんだ胸郭、光沢のある外皮が不規則なリズムで移動している様は、科学的理知をもってしても本能的な畏怖を呼び起こす。
「ひとまとめにすると……見分け、つかなくなりません?」
「そんなことないですよ」
 ステラの声に一切の迷いはなかった。
 隣のゼノモーフが、彼女の言葉に反応してグルルと喉を鳴らし、ステラのほうを一瞥したあと再びケージの中の仲間たちへと顔を向ける。
 ステラは指でガラスをなぞるようにしながら、静かに数えはじめた。
「左から、キセノンとテネシン。あれがトリウム。色が薄くてよく走るのがビスマス。尾の短い子がセレン。その向こう、尻尾を絡めてるのがセリウムとネオジムで……ランタン、タンタル、リン」
 軽やかに数え上げる声は淡々としていたが、まるで親のような識別の確かさがあった。
「……え?」
 隣に立つ男は、ぽかんとしたまま、資料を抱えた腕を下ろした。沈黙の理由は明白だ。情報量の多さに思考が追いついていない。
 そのとき、彼の視界の隅で何かがぬるりと動いた。視線を下げると、ステラの足元――ラボコートの裾の影に、あの異形の姿。
 ゼノモーフが、床に腹這いに伏せたまま、首だけを持ち上げてこちらを見つめ返していた。
「……ちょっと待ってください。これ、檻の外に出てるじゃないですか……」
「ええ。この子はリチウムです。こっちから怒らせない限りは心配ないですよ」
 ステラは当然のように返すが、キンロックは眉間に皺を寄せて一歩だけ後ずさる。資料の束を床に落としそうになる。
 リチウムが首をこくんと動かした。まるでステラの説明に同意するかのように。
 そこに、もう一人の足音。振り返るより早く、女性が自然に背後へと近づいてきた。扉が開きっぱなしだったせいか、気配もなくすっと現れた。
「名前をつけてるんですか?」
 肩越しに声をかけたのは、ステラと同年代の女性研究員だった。背筋が真っ直ぐで、顎のラインが強く、声も芯がある。
 同じくミーティングに現れないステラを呼びにきたらしい彼女は、警戒よりも好奇心を丸出しにして歩み寄ってくる。
「もちろん名前です。XB-03とかXD-01なんて呼ぶより、わかりやすいし可愛いと思って」
 淡々と返すステラの足元で、ゼノモーフが上機嫌に尻尾を振っている。それはどこか誇らしげなしぐさにも見えた。
 一方で白衣の男女は視線を交わし合い、やや気まずそうな顔をする。
「つかぬことを伺いますが博士。俺の名前は覚えてますよね」
「……キンロック博士?」
「今、名札見ましたよね」
 キンロックが冷めた目で睨みつけると、ステラはわずかに視線を逸らす。
 無表情のままだが、少しだけ頬の筋肉が緩んだようにも見えた。それが彼女なりの『照れ』なのだと気づくには、相当に彼女を知っている必要がある。
「誤魔化さないでください」
「メイヤー博士? ゼノモーフは全部で12頭でしたね? でも……ここには10頭しかいません」
 ケージの中の異形たちを指折り数えていた女性研究員――名札よると、“フォンテーン”――が眉をひそめた。ここにいるリチウムを含めたとしても、まだ数が合わない。
「ああ、リードですね。いまリプリーさんと船内をお散歩してるはずです」
 一拍の沈黙。
「……なんですって?」
「散歩? ゼノモーフと? 単独で?」
「大丈夫ですよ。リードは賢いので。それに通る場所も事前にルート申請してますから」
「いや、そういう問題ではなくて……いや、もういいや……」
 キンロック博士は一気に語気を上げかけて、しかし途中で投げやりに肩を落とした。
 代わりにフォンテーンが会話をそっと引き取った。
「リードって、元素由来じゃないんですね」
「はい。あの子だけ、リプリーさんが名付けてくれたんです。いちばん最初に生まれた子で、他の子たちを牽引していく素質があるので……」
「ああ、だから“Lead”」
「意外と真っ当なネーミングセンスだ……」
 フォンテーンとキンロックが、ほとんど同時につぶやいた。声には感心と驚きが等分に宿っている。
 リチウムは彼らの動きに反応して軽く尻尾を揺らしただけだったが、それすら音もなく、異様に滑らかだった。
「他の子達も名付けてくださいって頼んだら、鼻で笑われました。なので残りは私が」
「博士って、ゼノモーフには親身なのに、人間には本気で興味なさそうですよね」
 資料を胸に抱き直しながら、キンロックがため息混じりに言う。今日の彼は妙に批判的だ。
 棘のある口調に、ステラは少しだけ視線を落とした。ガラスの向こう側でセレンが爪先で床を叩いている。そのリズムに呼応するように、彼女の声は静かに続いた。
「そもそもヒト類は私の研究対象ではないので……専門外って興味を持ちづらくないですか?」
 そのとき、ステラの足元にいたリチウムが、無言のまま尻尾を彼女の足首にくるんと絡めた。擬似的な共感のような、あるいは何かを感じ取ったかのような、静かな反応。
 キンロックとフォンテーンが再び顔を見合わせる。そして、どちらからともなく苦笑混じりのため息をつく。
「論点のすり替えが科学的で冷たい」
「そういう時はもっと人の心を傷つけない返事を心がけてください」
 ステラは硬い声で「失礼しました」とだけ答えておいた。本当は、人間はそういう面倒なことを言い出すから嫌いで、ゼノモーフたちはそうではないから好きなのだと言い返したかった。
 ステラはもう一度ゼノモーフたちに目をやる。脱走常習犯のビスマスが出入り口の周囲を探っている。テネシンが苛立ちもあらわに壁面をなぞっている。セリウムとネオジムは、互いの尻尾を絡めて眠っている。
「あと博士、ミーティング。今週こそ出てくださいよ」
「でも、いつも同じ話しかしなくないですか?だったら議事録を読む方が早いので……」
「そういうとこだよ!」
 キンロックの叫びが部屋に反響した。
 リチウムが背中を丸めて、ぐぅ、と喉を鳴らす。ステラがその顔を覗き込むと、小さなゼノモーフはクロム色の歯を剥き出す。
「……ごめん、びっくりしたね」
 その声音は、背後にいる人間たちには決して向けられない種類のものだった。

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