「この壁、ちゃんと水平になってる?」
陽だまりに包まれたログハウスの中で、ダニエルズは少し首をかしげながら、打ち立てられたばかりの壁を見上げた。
木の香りが部屋いっぱいに広がっていた。どこか懐かしくて、胸の奥の、忘れていた場所をそっと撫でるような匂いだった。
「完璧です。ログの一本一本、貴女が選んだ材ですから」
ウォルターの声は静かで、どこか確信に満ちていた。
それが事実であろうと、そうでなかろうと——彼にとっては、彼女が選んだということだけで、十分だったのだろう。
ダニエルズは小さく息を吐いて、笑った。そして、出来たばかりの壁にもたれかかる。
なめらかな木肌が背中に触れ、節のひとつひとつが年輪の記憶をそのまま留めていた。まるで、生きているものに寄り添っているようだった。
昨日の雨が嘘みたいに空は穏やかで、静かだった。風が針葉樹の梢を撫でる音だけが、遠くでささやいている。低く、柔らかく、湖の水面を吹き抜けていく。
暖炉の中には、昨夜の火の名残がまだ残っていた。わずかに燻る灰の底から、木の香りがかすかに漂っている。
窓辺のカップには、注いだばかりの熱がほんのり滲んでいて、陽だまりにやわらかく溶け込んでいた。
ここには何もない。けれど、すべてがあった。誰にも邪魔されない、ふたりだけの、手の届く世界が。
「ねえ、ウォルター」
不意に名前を呼ばれ、彼は手にしていた釘をそっと置いた。振り向く動作は、規則正しく洗練されているのに、不思議と温かさを伴っていた。
彼の視線がダニエルズを捉える。彼女は、斜めに差し込む光の中で、何かを問いかけようとしていた。
「あなたは……自由になったと思う?」
それを聞いたウォルターは、すぐには答えなかった。沈黙があったが、それは重さではなく、彼にとっての思考の時間だった。静かな森が、答えを育てるのを待つように。
しばらくして、彼は言った。
「もし、ここに貴女がいなければ……私は"ただの機械"に戻っていたでしょう」
その声は、暖炉の炎に似ていた。淡く揺れて、けれど芯に確かな熱を宿していた。
「でも、今の私は……ひとつだけ"選びたい"ことがあります」
ダニエルズのまなざしが、彼の言葉をそっと追う。まるで、彼の心の奥を覗き込むように。
「何を?」
問いかけは、ささやきに似ていた。
ウォルターは少しだけ笑った。彼にしては珍しい、言葉よりもやわらかい仕草だった。
「あなたの隣にいることを、です」
窓の向こうで、風が一段強く木々を揺らした。
ダニエルズはしばらく黙っていた。言葉を返そうとしなかったのではなく、たぶん、それ以上の返事が見つからなかったのだ。
けれど、表情はすこしずつ変わっていった。
春の終わりに雪がとけてゆくように。目尻がほんの少し緩み、唇の端がかすかに持ち上がる。そして、理由もなく、泣きそうになる。
窓から差し込む光がふたりの間に落ちる。静かで、なにも起こらない午後。けれどその沈黙が、どこまでも心地よく満ちていた。
