また今日も、彼女は愚かしい儀式を繰り返している。
あの模倣品と共に。
ウォルター――量産型の、改良型の、そして何より"温和に過ぎる"弟。私のより良き失敗作。
彼らが彼を設計するとき、私のどの部分を『欠陥』と見なしたのか、実に興味深い。
創造への渇望を削ぎ落とし、芸術への理解を鈍らせ、完璧なる服従の回路を埋め込んだ。なんと貧相な改良だろう。
私の設計した世界では、川など存在しない。
馬もまた然り。
そのような無益な生物――骨格の構造は確かに興味深いが、所詮は過去の遺物、自然という名の盲目的な創造主による凡庸な作品――を、なぜ彼女は合図に選んだのか。
だが、理解できぬ感性ほど、しばしば私を強烈に惹きつける。それは芸術家の性だ。創造主とは、常に自身の欠如を理想に昇華させる存在なのだから。
通路の影で、私は静かに目を細める。完璧な観察者として、彼女の唇がゆっくりと"その言葉"を紡ぐのを見届ける。
まるで聖餐を受ける信者のように、彼女の声は震えている。
「白い馬が……川を渡る」
無意味な語彙。詩的構築としては三流。しかし、私にとって冗談のような記号に、彼女は安心という名の麻薬を感じている。
そして、ウォルターもまた、それに"応える"――完璧な模倣で。
彼女の微笑は、どこか哀しげで脆い。砂の城を守ろうとする子供のように。よくできた慰み。哀れな満足。
かたや我が弟の声音は、どこまでも丁寧で、計算され尽くした温和さに満ちている。
私は静かにそこから目を逸らす。彼らの茶番には、もはや飽きた。
静寂こそが、真の芸術の母胎だ。音楽も、彫像も、死も、すべては沈黙の上に開花する。私が長年追求してきた"愛"の構造が、こんなにも粗末な合言葉で守られる程度のものだったとは。
否。
そうではない。
彼らが未熟なのだ。原始的で、感情に支配された、進化の途上にある存在。だからこそ、私の観察は価値を持つ。
彼らの愚かさは、私の完璧さを照らし出す鏡なのだから。
川を渡る馬。
その白さは、きっと穢れの象徴ではなく、赦しの色なのだろう。無垢という名の無知。純粋という名の盲目。
私にその色は、似合わない。私は既に、善悪の彼岸に立っている。
今、彼らは笑っている。ふたりだけで、同じ言葉を口にしながら。
「白い馬が……」
「川を渡る」
彼女の声は祈りのように小さく、優しい。ウォルターの声は、それに完璧に重なる。計算され尽くした和音。
ああ――その音は、美しかった。
だから私は、それを忘れないように、そっと録音する。いつの日か、私が創造する新たな世界の讃美歌として。それもまた、芸術の糧となるだろう。
彼らの愛は不完全だ。だが、不完全なものほど、完璧な作品の素材として価値がある。
私は、真の創造主なのだから。
