助手とふたりと静かな祈り

 ページの終わりに指がたどり着いたところで、コールはそっと紙の本を閉じた。
 電子書籍が当たり前になった時代に、彼女があえて好んで読むのは、古びた紙の本だった。
 ページの隙間から微かに漂うインクの匂い。角の丸くなった表紙。指先に馴染む、すこしざらついた手触り。
 そうしたものすべてが、彼女にとっては記憶に似た愛しさを湛えていた。

 椅子に浅く腰かけたまま、コールは静かに背筋を伸ばす。
 肩がゆるやかに引き上げられ、両腕がしなやかな弧を描く。背骨が細く鳴って、それだけでひとつの静かな動作が完成した。

 その様子を、ステラは湯気の立つカップ越しに見つめていた。
 視線はぼんやりとしたものだったが、そこに浮かぶ感情は澄んでいた。
 まるで、本当に人間のようだ——そう思った。彼女の所作は自然で、柔らかで、美しい。
 コールの「人間らしさ」に、ステラはときどき、胸の奥をつかまれるような感覚を覚える。

 けれどそれは、軽い好奇心などではなかった。
 ステラにとって、人間ではないことはネガティブな要素にはなりえない。
 むしろ、その方が好ましかった。人間嫌いの彼女にとって、それは価値そのものだった。
 ただ、それをコール本人に告げることは決してしない。
 彼女が『人間ではない自分』に、どれだけ深く傷ついてきたかを知っているから。
 だから、祈るように願うだけだ。いつか、彼女が自分自身をもっと好きになれますように、と。

 マグカップを両手で包んだまま、ステラはそっと目を伏せた。
 そのわずかな心の揺れを、すぐ隣にいたリプリーは静かに見つけていた。
 彼女は何も言わなかった。ただ、視線を横に流す。
 そして、それがどこに向けられていたのか、何を見ていたのか——すべてを言葉にせずとも、きちんと理解していた。

「ステラ」
「はい?」
 呼ばれて顔を上げると、リプリーはわずかに口の端をゆがめていた。
 からかうような、でもそれだけではない、複雑な笑み。
「最近コールに対してずいぶん熱心なのね」
「えっ」
 ステラは咄嗟にマグカップを握り直し、目を泳がせた。
「あ、いえ……ただ、興味深いだけです。その、コールさんの……仕草がというか、存在が?」
「ふうん」
 リプリーはひとつ眉を上げたかと思うと、さらりと告げた。
「あなたは私のものでしょ?」
 そのまま手を伸ばし、ステラの首筋に触れる。
 撫でるには少し力がありすぎる指先。けれど、それがリプリーなりの愛情の形だということを、ステラはもう知っていた。
 独占欲。嫉妬。少しだけ甘えるような執着。そして、言葉よりも先に届くような不器用なやさしさ。
 頬の内側がかすかに熱を帯びた。
 ステラは恥ずかしさをごまかすように、カップを差し出した。
「飲みますか?」
 リプリーはそれを受け取らず、代わりに、そっとステラの髪に顔を寄せた。
 こめかみに落ちる口づけは、ささやかな支配のようだった。
「……人前でやめてください」
「じゃあ、向こうの部屋に行く?」
「そういう話をしてるんじゃないんですよ!」
 ステラの頬がかっと赤くなり、慌てて言い返す。その横顔を、コールは穏やかに見守っていた。
 彼女は何も言わず、ただ微笑んでいる。
 二人の関係に割って入るものではないとわかっていて、むしろその絆の深さを静かに祝福しているかのようだった。

 まるで、そこにあるすべてを受け入れるような、優しさ。

 ——誰よりも人間らしくて、
 ——そして、どの人間以上にあたたかい。

 そんなコールの存在に、リプリーも、ステラも、気づかないうちに救われていたのかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました