助手と技師と、開かずの箱

 物資保管庫の天井では、ひとつだけ照明が切れていた。
 光を欠いたその一角は、まるで空気まで薄まっているようで、少しだけ肌寒い。鉄の壁がかすかに冷え、足音の反響がどこか遠くに聞こえる。
 ここは普段、人があまり立ち入らない。
 船内の環境管理は優秀で、気圧も湿度も安定しているけれど、それでも放置された金属棚には薄く埃が積もり、小さな粒子が光の筋の中を漂っていた。
 ステラはその奥まった空間で、棚の隙間に手を伸ばそうとしているところだった。
 そこでふと目に留まったのが、見慣れない小さな黒い箱。
 だいたい30cm四方サイズで、くすんだ表面にはかすれたラベルの跡がある。パチンと音がしそうな金属ロックが、無骨な存在感で口を閉ざしている。
「これ、何が入っているんでしょうか」
 独り言にしては、声がやけに真面目だった。
 すると、すぐそばの通路の向こうから、タイミングを計ったような声が返ってきた。
「あ、それ……」
 物陰から顔を出したのは、コールだった。片手には作業用タブレット、もう片方の指には静電気でくっついた埃がひとつ。
「それ……半年くらい前から、そこにあるの。誰も触ってない」
 彼女は少し眉をひそめながら、視線を箱に向けた。言葉の間に、何か思い出すような間がある。
「なるほど。申請ラベルも剥がれちゃってますね」
 ステラはしゃがみこんで、指先で箱をなぞった。
 ほんのわずかに、埃が宙を舞う。光の筋の中を、白い粒が泳いでいた。
「うん……“開けない方がいい気がするから放ってある”って、前に誰かが言ってた」
 コールの声が、小さくなる。
 言いながら、本人も納得しきれていないのがわかる。なんとなく、呪いの遺物に触れてしまうことを恐れる子どもの姿を思わせる。
 ステラは手袋を直し、慎重に箱を持ち上げた。軽いけれど、中に何かが入っている感触はある。
「じゃあ、開けてみましょうか」
「えっ!? なんで……!?」
 コールの声が裏返る。反射的に一歩、後ずさる。
 ステラは箱を持ったまま彼女を見た。子鹿のように大きな瞳が、真剣にこちらを見返してくる。
「だって……このままずっと閉じ込めておくと、中の何かもストレスで爆発するかもしれませんよ」
「“何かがいる”って前提はやめて」
「このサイズなら、入ってるとしても頭蓋骨くらいですかねー」
「本当にやめて。そういう冗談は笑えない」
 ぴし、と頭上の照明が一瞬だけ瞬いた。
 何かに反応したのか、それともたまたまなのか……。空気がすっと張りつめる。
 ステラは箱を支えたまま、軽く目を細める。その目は冗談を言っている風ではない。真面目に、中身を分類しようとしていた。
「生体じゃなくても、記録媒体や危険物の可能性はあります。情報が失われている以上、調査の必要はあるかと」
「逆に、“ガムの包み紙だけ”とか、“使い終わったメモリチップ”だったらどうする? それのせいで今、私の精神けっこう消耗してるんだけど」
 ステラの唇が、すっと緩んだ。
 コールのジョークなのか本気なのかわからないツッコミは、なぜか妙にツボに入ることがある。彼女の真面目さが裏返ったみたいで、ちょっとだけ笑ってしまう。
「それはそれで、“六ヶ月開けられなかった謎の箱の正体がゴミだった”という観察記録になりますね」
「研究者って、そういう考え方するんだ……」
「でも、怖いなら無理には開けませんよ?」
 ステラはそう言って、黒い箱をそっと棚に戻した。
 コールの肩が、目に見えてすっと下がる。緊張していたのがわかるくらい、わかりやすく。

 ――その直後だった。

 カチリ。

 乾いた、小さな跳ね返りのような音が、箱の中からした。
 ふたりとも、瞬間的に静止した。目だけが同じ場所を見つめる。音の出どころ。黒い箱。沈黙。呼吸も、音も立てない。

「……やっぱり開けません?」
「絶対に、今日はやめた方がいい」

 静かに、いつもの空気が、戻ってくる。
 ふたりの間にあるのは、何も起きていないかのような日常の静けさ……と、棚の上に置かれたままの、黒い箱。

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