助手とふたりと“普通”の定義

 薄く淹れた紅茶の香りが、静かなリビングにほんのりと満ちていた。
 天井には間接照明がやわらかく灯り、壁の一角には観葉植物が並んでいる。外の光は差し込まないが、そのかわり、空間には落ち着いた人工的な温もりがあった。

 ソファと低めのテーブルが置かれた一角で、三人はそれぞれ思い思いの姿勢でくつろいでいた。
 コールは、脚を組みながら膝に古いハードカバーを乗せている。
 リプリーはカップを指先でくるくると回しながら壁にもたれている。
 ステラはその隣のソファに浅く腰を下ろし、マグカップを両手で包むように持っている。

 とくに誰ともなく始まった会話は、いつの間にか「料理」の話題へと流れていった。

「別に苦手なわけじゃなくて……」ステラは少し視線を泳がせたあと、控えめに続けた。「レシピさえあれば何でもそつなく作れるタイプです」
 口調はいつもの通り落ち着いていたが、そこには静かな自負がにじんでいた。
 本人は無意識かもしれないが、事実としての自信が、言葉の端々から感じられる。

「……そりゃすごいわね」
 リプリーが鼻を鳴らし、カップを口に運ぶ。
 皮肉のような言葉のあとには続きがありそうだったが、それは飲み込まれたまま、静かに沈んだ。
 その代わりに、コールがふわりと笑った。
「調理は科学の延長だものね。材料と工程があれば、結果は予測できる」
「そう、そうです!」
 ステラは即座に頷いた。その反応の速さに、コールの口元がさらにやわらかくほころぶ。
 けれどステラは、そこで少しだけ間を置いたあと、小さく息をついた。

「でも、レシピに“適量”の文字が出てきた途端に、全てのやる気が失せます」
 語調こそ淡々としていたが、その眉の角度とわずかな口の引き結びが、彼女の静かな不満を物語っていた。
「その適量がわからないからこっちはレシピを見てるんですよ!」
 珍しく言葉にほんの僅かな熱がこもる。
 その訴えに、コールは驚いたように目を見開いたが、すぐに優しく頷いた。
「確かに……“塩ひとつまみ”なんかも、人によって全然違うだろうし」
「そうなんです! あれも許せません! わかってくれて嬉しい」
 ほんの少し身を乗り出したステラに、コールも自然と顔を向け、微笑んだ。
 理系の者同士にだけ通じる“あるある”の共感が、そこに流れていた。

 そんなやりとりを見ていたリプリーだけが、どこかぽつんと置き去りにされたような表情で、カップをそっとテーブルに戻す。
「適量なんて、普通にやれば普通に仕上がるもんじゃないの?」
 小首を傾げてのその言葉は、まるで子どものような素朴さを帯びていた。
 一瞬、ステラとコールが顔を見合わせ――そして、同時にふっと笑った。
「“普通”の定義から始める必要がありますね」
 そう言ってステラが肩をすくめると、コールが頷きながら、まるで何かの研究テーマを立てるかのように静かに呟いた。
「検証項目がまたひとつ、増えたみたい」

 リビングの照明が、三人の影をやわらかく落としていた。
 カップからはまだほんのりと紅茶の湯気が立ち上り、香りは空気の中に溶けていく。

 静かな時間の中、そんな会話さえも、どこかやさしい余白で満たされていた。

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