助手とパセリの科学

 昼休憩の食堂は、今日もまた空調が利きすぎていた。
 薄手のジャケットを羽織っていてもどこか肩に力が入る程度には不快で、じわじわと足元から這い上がってくる冷気が、スチール製の椅子に座る背中にうっすらと寒気を走らせる。
 それが人工重力のほんのわずかなブレと相まって、スプーンを持つ手にも無意識に余計な力を込めてしまう。
 それでもこの時間帯の食堂は、オリガ号における数少ない“平穏”が保たれる場所である。甲高いアラームも、警報ランプのフラッシュも鳴らず、誰かが何かに寄生されている気配も、まだ、ない。
 ただ午後の沈黙と明るい人工灯とが、研究者と兵士たちの背中をまんべんなく照らしていた。
 デスティファノ一等兵は、ぬるいスープを啜りながら、ややふてくされたような顔でランチトレーを見下ろしていた。
 視界の先には、いつもの合成タンパクにほんの少しだけカラーフィルターをかけたような謎の料理。
 チューインガムのようなテクスチャの肉に、炭水化物を模した塊が添えられている。栄養バランスだけは完璧、というやつだった。
 そしていつもとは違う、妙に鮮やかな緑色の物体が一切れ。
「……なあ、パセリってさ。なんかもう、何に入っててもまずいよな」
 フォークを小さく持ち上げて、それを皿のすみに突き立てる。
 今日のメニューの味わいは、合成食品の定番として可もなく不可もなく。しかし珍しく彩りだけは凝っていて、付け合わせにまで気を使ったらしい気配があるのが謎だった。
 少なくとも、デスティファノにとってはありがた迷惑でしかなかった。
「そう?」
 応じたのは斜め向かいにいたアナリー・コールだった。
 彼女は食事をとるでもなく読書を続けていて、ページをめくる指先だけがさきほどからずっと同じリズムで動いている。
 現代では希少となった紙の本が、また1ページ分、かすかに音を立てて先へ進む。そこから顔を上げないままに、コールは言葉を続ける。
「火を通せば、ある程度クセは和らぐはずだけど」
「へえ、そうなのか」
 フォークの先でパセリをつついていたデスティファノの顔に素朴な驚きが浮かんだ。片眉を上げ、皿からコールへと視線を向ける。
 その表情はまるで、パセリという存在に新たな可能性を感じ始めた少年のようだった。
 一拍の間をおいて、コールの隣で湯気の立たない合成コーヒーを両手で包んでいた女が、ふいに会話に加わった。
「パセリに火を通したら、そのまま消えちゃいません?」
 疑問の主はステラ・メイヤー博士だった。薄いスープだけで済ませたランチの名残を手元に残しながら、今はマグカップの中のまずい合成コーヒーと戦っている。
 彼女の一言はまるで、気圧の安定した艦内に突如として舞い込んだ小さな異物だった。
 視線が一斉にそちらへ集まる。フォークの動きが止まり、ページをめくる手が止まり、目線が、音が、空気が止まった。
 コールが本から顔を上げる。ぱちんとページを閉じて、にわかには信じられないものを見るような表情でステラを振り向く。
 デスティファノも思わず彼女に目をやった。その視線の中にあるのは、もはや呆れでも笑いでもなく、説明を求める沈黙だった。
 しかし場の注目を一身に浴びても、ステラの顔は真剣そのものだった。姿勢よく椅子に腰掛けながら、両手でマグカップを包むように持っている。まるで、重力波の波形異常についての考察を語る場面と変わりない。
「……なぜ“直火”前提なんだ」
 重たい溜め息とともに、彼女の正面のゲディマンがようやく口を開いた。自分のコーヒーをぐっと飲み干す。
 苦味だけが強調されたその代物は誰にとっても『飲み物』というより『試練』のような存在だったが、今の彼にとってはステラの存在の方がよほど試練に近い。
 研究員の制服である生成色のラボコートに身を包んだ彼は、眉間に深いしわを寄せて部下に視線を向ける。
「えっ」ステラは真顔で首を傾げる。その仕草には小動物めいた愛嬌もあるのだが、そこに続いた言葉がいけなかった。「燃やすんじゃないってことですか」
「儀式か?」
「いえ、自然な調理法だと」
「どこの文明圏の話だ」
 ゲディマンの疲れきった横顔に、食堂の照明が薄く反射していた。部下の突拍子もない発言に振り回されるのは日常茶飯事とはいえ、そのたびにどっと脱力感がのしかかる。
 しかしステラは、そのくたびれ果てた様子をまったく意に介した様子もなく、むしろ科学的探究心に瞳を輝かせている。
「え、でも一度焼いてみましょうよ。バーナーで」
「やめろ。誰も得をしないし、パセリもそんなことの為に生まれてきたんじゃなかろうに」
 まるで魂のない詩人のようなゲディマンのぼやきに、周囲の空気が微かに揺れた。その言葉の端々に諦めがにじんでいた。
 デスティファノは笑い混じりに肩をすくめた。
「気になるならやってみりゃいいんじゃないか? 俺のパセリやるよ」
 言いながら、フォークでつまんだパセリを、ステラの方へ放り投げるように差し出した。もちろん、投げたりはしない。食堂でのマナーは最低限守るのが兵士としての務めらしい。
 すると、コールがふたたび本を開き直しながら、ふっと笑う。
「少なくとも彼は得するみたい」
 何が、とは言わない。けれどその口調には、全てを見透かしたような茶目っ気が滲んでいた。
 静かな食堂。照明は白々しく光り、空調は相変わらず効きすぎていて、コーヒーは不味い。だがそのすべてが、今日のこの午後に妙なあたたかさをもたらしていた。
 誰もが一瞬だけ、船内にうごめく暗黒の気配も、研究室に満ちる無機質な静寂も忘れて、パセリの運命について真剣に語り合っていた。

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