それがいつから置かれているのかは、誰にもわからなかった。
通路の端、補強材と壁とのあいだに押し込まれるようにして据えられた、傷だらけの古いコンテナ。
本来の用途はもう失われ、今では人知れず簡易休憩所として重宝されている。冷たい壁の近くだけど、そこだけ空気が少し緩んで感じられる、不思議な場所。
ステラはその縁に腰かけて、何をするでもなく、靴先で床のパターンをたどっていた。
金属板に刻まれた、通気スリットの網目。その間を小さなボルトの影が行き来する。意味もなく、それを目で追いながら、じんわりと過ぎる時間に身を任せていた。
すこし離れた廊下の角を、軽い足音が曲がってくる。
ぴたりと止まったその視線に気づき、ステラが顔を上げると、そこにはコールがいた。思考の途中で立ち止まったような気配で、こちらを見ていた。
「まだ起きてたの?」
小柄なアンドロイドはそのまま歩み寄り、コンテナの反対端に腰を下ろした。距離はちょうど肩幅ひとつ分。近すぎず、遠すぎず。
「コールさんも。眠れなくなっちゃいましたか?」
「うん……今って、夜?」
ぽつん、と置かれた問いだった。ステラは一瞬考えてから、少しだけ天井を仰ぐ。
「人工照明の周期からすれば、“夜”という概念での理解で問題ないかと」
「そっか。私、宇宙暮らしには慣れてるはずなんだけど……」
語尾に行くにつれてしぼんでいくコールの声には、自分でも理由がよくわからない戸惑いが混じっていた。膝の上で指を絡めるようにしながら、視線をうつむけている。
「わかります。たまに、ぜんぜん時計が合わなくなるんですよね。身体が何か、別のリズムを持ってるみたいで……。私、昨日の夢の内容が“明日”に持ち越されたことありますし」
「なんかそれ、面白い」
小さく笑うコール。彼女の表情は、うれしいのか、困っているのか、判別がつかないくらい曖昧だった。
「私も今、そんな感じで……昨日がまだ、終わってない」
ふう、と息を吐いて、アンドロイドはなおも言葉を続ける。
「そもそも、昨日ちゃんと寝た記憶がなくて。いつ寝たのか、わからないの。だから、昨日が終わってないまま続いてる気がする。ずっと延長戦みたいな」
ステラがその意味を咀嚼する一瞬のあいだだけ、沈黙が落ちた。唇に淡い笑みが浮かぶ。
「いい表現ですね。じゃあ、コールさんの中では昨日がちゃんと終わってないんですね。終わらせ損ねて、そのまま流れてきてる」
「……ってことは」
コールが、ふと顔を上げる。
天井の照明がその輪郭を照らして、長い睫毛に微かな影を作る。
「この時間って、“まだ寝てない人”だけに見えるんじゃない?」
「確かに。そうなりますね」
ステラは、少しだけ目を細めて応じた。声は穏やかで、でも真剣さを孕んでいた。
「眠ってる人には、絶対に訪れない時間」
しばらく、ふたりは無言だった。
遠くで、冷却システムの低い振動音が続いている。
誰も通らない廊下。照明は白すぎず、影も落ちすぎない。そこだけ時が止まっているような空間。
コールが、そっと脚を前に投げ出した。その動きに合わせて、金属のコンテナが小さく軋む。
「メイヤー?」
低く、控えめに呼ばれて、ステラが横顔を向ける。
「はい」
「……“今日”になっても、たぶん、まだ昨日が終わらない気がする」
「そうですね。私も、そんな気がしてました」
コールはその返答に、すこしだけ目を見開いた。
でも、何も言わない。かわりに、指先でコンテナの縁をなぞりながら、小さく頷いた。
照明が静かに唸る音。遠くのドアがひとつ、閉じる気配。
何かを共有するでもなく、話を深めるでもなく――ただ、ふたりは曖昧な“今”の中に、しばし足を止めていた。
助手と技師と、わからない時間
